鎖国のもとで開かれた窓口
江戸幕府の貿易統制により、日本は鎖国と呼ばれる状態でしたが、制限付きで貿易は行っていました。「四つの口」である( ① )( ② )( ③ )( ④ )を通じて、オランダ、中国、琉球、朝鮮、蝦夷地とつながっていました。
中国・オランダと長崎
中国では、17世紀ごろに女真族が( ⑤ )を滅ぼし、( ⑥ )を建国しました。朝鮮や琉球は⑥に朝貢しましたが、日本と⑥の正式な国交は開かれませんでした。日本の商船が中国へ渡ることはできませんでしたが、中国の商人が( ⑦ )に来航して活発に貿易が行われました。また⑦には、中国人が住む( ⑧ )が設けられました。
幕府は、ヨーロッパの国の中では、キリスト教を布教しない( ⑨ )にのみ貿易を認めました。⑨船は長崎に来航し、( ⑩ )に設けられた⑨商館で貿易を行いました。幕府が⑩への人の出入りを厳しく監視したため、⑨人と日本人が自由に交流することはできませんでした。一方で、⑨商館は毎年江戸を訪れ、将軍に直面して贈り物を献上しました。
長崎には、日本にない新たな文物がもたらされたので、海外の知識を学ぼうと、各地から多くの学者が訪れました。また幕府は、中国船には( ⑪ )書を、オランダ商館長には( ⑫ )書を提出させて世界の出来事を報告させ、その情報を独占しました。
朝鮮と対馬藩
豊臣秀吉の朝鮮侵略以来、朝鮮との国交はとぎれていましたが、徳川家康は、( ⑬ )藩の( ⑭ )氏に仲立ちを命じて、17世紀初めに国交を回復させました。それ以後も、⑬藩が朝鮮との外交・貿易を独占的に担い、⑬藩以外の日本人が朝鮮へ渡ることはできませんでした。
⑬藩は、朝鮮の釜山に設けられた( ⑮ )で貿易を行い、木綿や生糸、( ⑯ )などを輸入しました。反対に、米や豆を輸入していました。
朝鮮からは、日本の将軍の代替わりごとに( ⑰ )と呼ばれる使節が派遣され、宗氏の案内で江戸を訪れました。数百人からなる⑰は、江戸時代に計( ⑱ )回派遣され、その経費は幕府や藩が支出しました。⑰の大行列を見た人々には、将軍の権威が朝鮮にも及んでいると印象付けられました。
鎖国のもとで開かれた「四つの口」
A~Dに当てはまる言葉を入れましょう。
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