ギランバレー症候群 症状・経過・治療・壮絶体験記

ギランバレー症候群を患っている方や症状について知りたい方へ

私がギランバレー症候群になったのは、税理士試験勉強を頑張っていたころです。

ギランバレー症候群を脱出してからすぐに、
女優の大原麗子さんが同じくギランバレー症候群が原因でお亡くなりになったこともあり、
ギランバレー症候群がマスコミにより日本全国に知られることになって、
症状や治療、経過等をインターネットで調べやすくなりました。

私が患った頃は、聞いたこともないような病気だったので、
ギランバレー症候群だと診断されるまで、1か月かかりました。
普通ならそんな短期間で病気が分かったら良いじゃん!って思うかもしれませんが、
ギランバレー症候群というのは、みるみる病状が悪くなっていきます。

病院で即入院!と決まるころには、車いすが必要で、
歩けなくなっていました。

その頃の不安といったら…。もう絶望しかありませんでした。

税理士になる夢どころじゃありませんでした。

その頃は、寝たきりで少しだけ動く手で、
インターネットでギランバレー症候群について調べまくっていました。

「この先どうなる?わたしの体はどうなるの?このまま死ぬの? 」って。

でも、そんなに情報がない。
お医者さんが作ってくれているギランバレー症候群についての記事もあったんですが、
全然心に染みなかった。どこか遠くから聞こえる声みたいで。

もっと、ギランバレー症候群になっている人や、なった人の心の声が聞きたかった。
叫び声というか、同じ思いをして辛い思いをしている人と共感したかった。

もっと細かくどうなっていくのか教えてほしかった。

そんな絶望感の中、自分にはブログを書くノウハウもなく、誰の役にも立てなかった。

もし、現在不安に思われている方、辛い思いをされている方のお役に立てればと思い、
ブログにしようと思いました。
その頃の自分に書くように。

ギランバレー症候群発症から3か月後には、
症状のピークを脱し、絶望感から解放されました。

体が動かなくなっていくのは、本当に恐怖だと思いますが、
ピークが過ぎれば、一般的にはその後は良くなっていきますので、
とにかく今は辛抱してください。

でも、頑張らないでください!
辛くて、寂しくて、孤独で、痛い!痛い!ってもっと叫んでください!

ギランバレー症候群の発症 初期症状 

一番最初の症状

左ふくらはぎ後ろ辺りの衝撃

まさかこれが、症状の一部であったことは、この時は微塵も思いませんでした。 

久しぶりにパンプスを履いたときのこと。

「痛っ!!」
左足のふくらはぎの下の方でバキッと衝撃が走りました。
久しぶりにヒールの高い靴を履いたので、そのせいかな…。
ってくらいでしたが、猛烈に痛かったです。

「久しぶりに履いたパンプスで、捻挫してさ~(笑)」
なんてネタにして能天気でした。

最初の病院 ~近所の町医者・整形外科~ 捻挫?

それから捻挫の症状は良くなるというより、じわじわと悪化していく感じでした。
1週間様子を見ましたが、痛さも何となく増していくし、
痛い部分が何となく広がっていく…。

「よし、整形外科で湿布でももらいに行こう!」
自分的には捻挫にしては治りも悪いし、肉離れかもな~って感じでした。

近所の整形外科に行くと、
まぁ捻挫だろうと、湿布をもらいました。
見た感じも腫れてないし、普通そんな感じだろうと思います。
欲しかった湿布ももらえたし、
「そのうち治るわ~っ」て感じでした。

2番目の病院 ~ちょっと大きな整形外科~ 肉離れ?

普通に過ごしていたのですが、なんとも良くならず、
左足だけでなく右足首も痛くなってきました。

ワンコの散歩で歩くのが何となくしんどいし、
「自分の体、どうしちゃったんだろう?」って思っていましたが、
その頃は、勉強ばかりの毎日で、全く運動してなくて…。

運動しなくちゃな~って反省。
無理やり遠くまで散歩に行ったりしてました。

そんな時、ワンコの散歩に主人も一緒に行くときがあって、
なぜか主人の歩く速さについていけない。

「この捻挫が邪魔して、普通に歩けなくなってるわ…。」

捻挫も治らないし、ちょっと足を延ばして
大きな整形外科へ行くことにしました。

そのころは、足首だけでなく、太もも全体に違和感がありました。
アキレス腱の上の辺りの痛さもあり、歩きづらかったので、
それも医師に伝えしました。

レントゲンも撮ってもらえて、
ちゃんと診てもらえましたが…。

それでもやっぱり、どこも異常なし。

肉離れという診断で、また湿布をもらって帰りました。

その頃から、こんな状態で異常なし…。
「自分の体、何だか変。」
そう思うようになり、インターネットで調べだしました。

まさか、ギランバレー症候群といった難病のことなんて知りませんし、
捻挫やケガといった外傷の治りが悪いといったことを検索していました。
これといった情報がなくて、行き詰まり感がありました。

2段階目の症状

洗濯ばさみが掴めない

家で洗濯物を干している時でした。
物干しハンガー(洗濯ばさみがたくさんぶら下がっているやつ)で、
洗濯物を干しているんですが、手が思うように動かない。
洗濯ばさみを掴んでもが広げられないんです。

「まずいことになった…。」
手が動かない。

洗濯ばさみを使えないくらいの筋力。
今思い出してもゾッとします。

洗濯ばさみの件を主人に伝えても冗談だと思われました。
そりゃそうですよね。

冗談であって欲しいといった気持ちと不安がが入り混じり、
涙がポロポロと…。

「これは何かおかしい。」
ただの捻挫や肉離れじゃないという確信に変わりました。

3段階目の症状

思うように歩けない・足を引きずる

洗濯ばさみですっかり滅入りました。それでもワンコの散歩には行かなくちゃと。
外を出たら、もう足をカクンカクンさせながらしか歩けなくなっていました。
足を引きずっていました。

最初は捻挫?くらいの期間が長かったのですが、
このころから、一気に悪化していくスピードが速くて、怖かったです。

もう限界でした。散歩を終えて、病院を調べて、
大きな大学病院で診てもらうことにしました。

3番目の病院 ~大学病院~ 診断:ギランバレー症候群
大学病院での診察 身体検査

もちろん足を引きずりながら行きました。
何とか病院へ到着したのはいいけれど、立っていられない。
そのまま車椅子に乗せられて即診察となりました。

色々と診察してもらう中で、知らないうちに出来なくなっていたことがありました。

  • しゃがめない。しゃがもうとすると、
    そのままだるまさんのように後ろに転んでしまう。
  • 手で物を掴めない。力が入らない。
  • 喉の奥の感触がない(お医者さんに喉奥を診てもらった時)
  • 階段が上がれない。

この辺りの症状は、かなり急速に進んだようで、自分でもびっくりでした。

大学病院での診察 ~問診:下痢や発熱、風邪をひいていないか?~

それから、
「10日~20日前辺りくらいで、下痢や発熱が出たり、
風邪のような症状が出ませんでしたか?」

と聞かれました。

そうです。確かにありました!なかなか風邪をひかない強靭な体ですが、
約2週間前に熱が出て、お腹を壊していました。
珍しいなぁって思っていたのですが、まさかそれがこの病気の始まりだったなんて…。

これらの症状をみて、医師から、
「ギランバレー症候群の可能性が高い。」と言われました。

全く知らない私は、
「病名が分かって良かった~。もう治りますよね?」って感じでした。
正体不明が一番怖いですから、正体がわかってホッとしたんです。

しかし、
「治らない病気ではないですが、治療法がない難病です。」
と付け加えられました。

力が抜けました。
「難病?治す方法がない…?」

その時に、涙が止まりませんでした。無知の私は、
「もう一生治らないかもしれないんだ…。」と思いました。

ギランバレー症候群について調べまくる!

病名が分かったので、とにかくインターネットで調べまくりました。
今みたいに、ブログが充実していなかったので、
調べてもそんなに出てきませんでした。

どんな病気なんだろう…。

これから、どうなっていくの…。

不安しかなかったです。

ただ、唯一救いだったのが、治らない病気ではないことでした。

ギランバレー症候群についてお医者様のホームページが一番分かりやすいので、
ギラン・バレー症候群|慶應義塾大学病院 でどうぞ。

少し簡単にまとめます↓

ギランバレー症候群について簡単に
  • 細菌やウイルスの感染症で発症する。
    (主に鶏肉に含まれているカンピロバクターが原因であることが多い)
  • そのウイルスに対して、自分を守るための免疫が、
    何かの異常で細菌やウイルスだけでなく自分の神経まで攻撃してしまい、
    筋肉に力が入らない等の症状を引き起こす。
  • ただ、この異常については、解明されていないために、
    治る病気であるが難病指定である。
  • だいたい1か月くらいで、症状がピークになる。
    そこからは回復に向かうが、そうでなく集中治療室で治療を受け続ける方や、
    呼吸器が必須だったり、亡くなってしまう方(約5%)、もいる。
  • 年齢関係なく10万人に1~2人の割合でかかる病気である。
  • これといった治療薬や治療法はない。

症状がピークになろうとしている時

色々調べて、治る病気であることが分かったことが救いでしたが、
終わりが全く見えない不安が襲ってきました。

治るとは言われていても、
ギランバレー症候群の症状がピークになろうとしているその時に、
どんどん悪くなっていく症状を目の当たりにして、
ポジティブな感情が生まれてくるはずもありません

綺麗ごとなんていりません。

一瞬、いや、何となく死が近いような気持ちにもなったりしました。

だって、

  • 自分の体が自分で動かせない。
  • 歩けないし、立てないから、車椅子。
  • 足はもちろん、手も使えない。

怖いに決まっています。

現在ギランバレー症候群を患っている方の気持ちは、痛いほど分かります。

いきなり、自分の身に降りかかってくる恐怖…。

もう一生寝たきりなのか…。悪いことしか考えられません。

このころは、わたしも真っ暗闇の中にいました。

ただ、3か月後にピークを過ぎて絶望から脱しています。
だからって、大丈夫だとかそんな軽いことは言えません。

ピークを過ぎると、急激に良くなるのが分かると思います。
そこまで、何とか頑張ってください。

ピークになるのがいつなのか分からないので不安だと思います。

そこまでの気持ちが、心が心配です。
それだけは、何とか強く持っていてほしいと願います。

即入院

ギランバレー症候群だと診断されたら、いつ動けなくなるか分からないので、
早急にする入院必要があります。

不安しかなかったです。
気持ちを強く持ってって言っておきながら…。すみません、正直な気持ちは、そうでした。

主人に報告したときは…。
凄く驚いていました。
結婚したばかりでしたので、こんな結婚したばかりで、外れくじを引かせてしまったと、
懺悔の気持ちでいっぱいでした。

しかし、このまま死ぬわけにはいかないし、いや、どうせ死ねないし、
治ると信じて入院するしかない。

6人部屋での入院生活が始まりました。

実際のところ、こんな状態である自分が情けなくて、申し訳なくて…。
やっぱり死を考えてしまう自分がいました。

痛い検査の毎日 ~骨髄液の採取~

神経伝達の検査

体が思うように動かないのに、毎日検査の日々でした。
電気を体に走らせて、反応を見るような検査があって、痛くて本当に嫌でした。
その検査がまた長くて。
毎回手や足に衝撃が走ります。
電気が走る衝撃は、検査が終わっても残っていて、検査後はへとへとでした。

髄液を採る

それから、髄液を採って検査しなければなりませんでした。

なぜなら、ギランバレー症候群というのは、
現在現れている症状や、
だいたい2週間前の風邪・下痢症状だけで多分ギランバレー症候群だろうと診断されて、
入院することになります。
ギランバレー症候群と断定することは難しいみたいで、
髄液を採って調べることでより確実性が高まるようです。

100%ギランバレー症候群だと断定することが
できない病気であるということです。

髄液を採る時は、かなりの鈍痛でした。
背中に太い注射のようなもので、髄液を採ります。
こんなことばかりさせられて、
「わたしは実験台か!!(泣)」
って思っていました。

体も思うように動かないし、
「殺してくれ!」と、何度も思いました。
これが実際の声だと思います。

この骨髄液の採取により、正式な病名をギランバレー症候群と伝えられました。

症状がピーク時の食事や生活

食事はほとんどスプーンで食べれるように流動食でした。かろうじてスプーンは持てました。

トイレは、歩行器で何とか行くのですが、
動きが遅くて間に合わない場合もあるので、
おしめもしていました。転倒することもあり、
危ないので付き添いが必要でした。

お風呂は入っていません。体を拭いてもらっていました。

そして、病気を治すための薬がないので、
おまじない程度のビタミン剤のみが渡されるだけで、
やっぱり治療法はなく、
結局時間が過ぎるしかないのだと、愕然としました。

入院から2か月過ぎたころに、体が動くように!

ピーク時は、ほとんど寝たきりの状態が続いたのですが、
入院から2か月経過したころから、
「あれ?少し動く?」
って思えました。

ただ、体は重いし、思うように動いてはいないのですが、
確実に快方に向かっていると実感できました。

それからは、ゆっくりですが体が動くようになっていきました。

手先も少し動くし、すごくゆっくりだけど歩けるようになっている!

「あっ!もう大丈夫だ!とりあえず自分の意志で歩ける!」
先生からも快方へ向かっているとお墨付きをもらいました。

入院から2か月で、ピークからは脱出しました!
初期症状から、3か月です。

これは、一般的に早い方なのかもしれません。

少し動くようになってからのリハビリ

このリハビリがかなり辛いです。

きっとリハビリされている方はお分かりかと思います。

ほんの少し動くようになったからって、ほとんど動かないに等しいくらいで。

今なら余裕でできるような
足の指を使って敷いてあるタオルを引き寄せるという動作ができないんです。

それを2回引き寄せるまで終われないという地獄なリハビリ。

そのほか、手や足を重点的にリハビリのカリキュラムが組まれていました。

ここでも、
「痛い!殺してくれ~!」です。

命がいくつあっても足りません。

理学療法士さんは、これくらいはできるよね?というスタンスなんですが、
「無理!無理!無理!無理!」

リハビリの時間は地獄でした。

痛いし、動かないし、痛いし…痛いし…

そのリハビリの期間は約2か月ほど続きました。

痛くて、痛くて、嫌で嫌で、逃げ出したかったですが、
ゆっくりゆっくり良くなっていきました。

いや、思い出しました。一度逃げ出しています。
タクシーで自宅へ帰ったことがありました。体が不自由なのに
よくもそんな無茶をしたなぁって。強制的に帰されましたが。

でも、辛かったら逃げていいと思います。
逃げられるなら逃げていい。
それが人間というものです。

頑張りすぎないでください。
我慢するいい子でいる必要なんてないですよ。
逃げられる力があること自体、幸せってなもんです。

発症から5か月で退院

入院の月日は約4か月。
ギランバレー症候群発症から5か月で退院できるまでになりました。

その後もリハビリをするための通院期間が2か月ほどありました。

予後は良好。

筋力はかなり落ちているし、いつもの体力が戻るのには、
退院してから3~4か月ほどかかっていると思いますが、
確実に少しずつ良くなっていきました。

再確認した当たり前に生活している今の幸せ

喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言いますが、
今でもあの恐怖は忘れられません。

きっと、今現在ギランバレー症候群と戦っているかたは
沢山いらっしゃると思います。
体が不自由になっていく恐怖感、痛いほど分かります。

そして、あんなにも死と向き合ったことはないような気がします。

死んだほうが楽だとか、死にたいとまで思わせる。

あんな地獄を見て、また体が思い通りに動かせるようになったとき、
これほど幸せなことはないと思う。

今、これが普通になってこれが当たり前だと
痛みを忘れて何も感じないで生活している。

もちろん痛みを忘れるから生きていけるのだけれど…。

過去は、過去!忘れた方がいいというけれど、忘れない方がいいこともある。
あの恐怖を忘れないことで、どれだけ自分が幸せなのか知ることができる。

地に足つけて生きていく大切さ、もう一度思い出して生きていこうと思いました。

ブログを書いていて、
「今過ごしているごく普通の日常の幸せを感じられていなかった。」
とハッとさせられました。

ギランバレー症候群で苦しんでいる方、本当に辛いと思います。苦しいと思います。
もっと叫んでください
頑張らずに、助けてもらってください
ピークが過ぎるまで、何とか踏ん張ってほしい。

リハビリまできたら、たまには逃げてください。
痛すぎます。

当たり前に生活できる日が来ると信じてほしいです。
そして、その苦しみは、いずれ自分のパワーになることを信じてほしいです。

こんな私でも誰かのお役に立てることがあれば幸いです。

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