鉄砲の伝来
16世紀の前半、東アジアの海では、中国・琉球・東南アジアなどの人々によって、貿易が盛んにおこなわれていました。ゴアやマラッカを根拠地に活躍していた( ① )人は、こうした貿易の場を利用して、東アジアにも現れるようになりました。
1543年、シャム(現在のタイ)から中国の商船に乗って、( ② )に流れ着いた( ① )人は、日本に( ③ )を伝えました。その頃戦国の世を迎えていた日本では、( ③ )はすぐに( ④ )大名に伝えられ、( ⑤ )や国友などでは、刀鍛冶の職人によって鉄砲が盛んに作られました。
答え
①ポルトガル ②種子島
③鉄砲 ④戦国 ⑤堺
キリスト教の伝来
1549年には、イエズス会の宣教師( ① )が鹿児島に上陸し、日本に( ② )を伝えました。( ① )は、山口や府内などを訪れ、熱心に布教活動を行いました。その後も、イエズス会の宣教師が次々と貿易船で来航し、大名の許可を得て、その領内で布教を続けました。宣教師たちは、教会だけでなく、民衆のために学校や病院、孤児院などを建てたこともあって、西日本を中心に( ③ )の信者=( ④ )が急速に増えました。
また、戦国大名の中にも、貿易の利益を期待して、信者になるものが現れました。これを( ⑤ )といいます。その一人である九州の( ⑥ )氏は、( ⑦ )を開港してイエズス会に寄進したため、( ⑦ )は布教と貿易の中心となりました。1582年には、宣教師の勧めにより、キリシタン大名の大友・大村・有馬の3氏が4人の少年使節を( ⑧ )のもとに派遣しました。これを( ⑨ )使節といいます。
答え
①フランシスコザビエル ②キリスト教
③キリスト教 ④キリシタン
⑤キリシタン大名 ⑥大村
⑦長崎 ⑧ローマ教皇
⑨天正遣欧(使節)
南蛮貿易
16世紀の後半になると、ポルトガルやスペインの商船が、長崎や平戸などの九州に来航し、貿易が盛んにおこなわれました。そのころ( ① )人と呼ばれていたポルトガル人やスペイン人は、( ② )産の生糸や( ③ )織物を中心に、鉄砲・火薬・( ④ )製品などをもたらし、日本からは大量の( ⑤ )を持ち帰りました。これを( ⑥ )貿易といいます。
答え
①南蛮 ②中国 ③絹
④ガラス ⑤銀 ⑥南蛮
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