鎌倉幕府が滅んだ後の政治の変化
鎌倉幕府の滅亡後、( ① )天皇は、天皇中心の新しい政治を始めました。これを( ② )といいます。それまでの武家政治や、院政、摂政・関白を否定して、天皇自らが改革を推し進めようとしましたが、政治の仕組みが整わず社会は混乱しました。また、幕府と戦った恩賞や役職は、公家や一部の新興武士だけを重んじたため、武士の間でも不満が高まりました。
これをみた( ③ )が新政に反対をして兵を起こし、京都に新たな天皇を立てると、( ① )天皇は( ④ )に逃れ、京都と( ④ )で二つの朝廷(北朝・南朝)が並び立ちました。こうして新政は2年余りで終わり、その後60年近くの間、全国の武士は、北朝と南朝の有利な方につき、領地を奪い合って戦いました。これを( ⑤ )といい、この時代を( ⑥ )時代といいます。
( ③ )は、1338年から( ⑦ )に任命され、京都に幕府を開きました。内乱が続くなか、幕府が国ごとに任命した( ⑧ )に対し、これまでの軍事・警察権だけでなく、荘園の年貢の半分を取り立て、軍事費にする権利等を認めたことから、地方の( ⑧ )が次第に力を強めていきました。
やがて( ⑧ )は、国内の武士を家来にして従え、国司に代わり、その国を自分の領地として支配するようになりました。このような( ⑧ )を( ⑨ )といいます。
答え
① 後醍醐 ② 建武の新政 ③ 足利尊氏
④ 吉野 ⑤ 南北朝の内乱 ⑥ 南北朝
⑦ 征夷大将軍 ⑧ 守護 ⑨ 守護大名
室町幕府の成立と守護大名
南朝が勢力を失って内乱が治まってくると、3代将軍の( ① )は、( ② )年に、南朝を北朝に合一させ、内乱を終わらせました。さらに、朝廷がもっていた様々な権限を吸収し、幕府は全国を統治する政権になっていきました。
( ① )が京都の室町に御所を建てて政治を行ったことから、足利氏の幕府を( ③ )幕府といい、幕府の続いた時代を( ③ )時代といいます。税を課す権限を持った幕府は、金貸しを営んでいた土倉や酒屋を保護するかわりに( ④ )をとり、収入としました。
幕府には、( ⑤ )と呼ばれる将軍の補佐役が置かれ、細川氏や( ⑥ )氏などの有力な守護大名が交替でつきました。また、関東には( ⑦ )が置かれ、その長官(= ⑧ )を足利氏の一族が受け継いで、関東の支配を担いました。しかし、やがて守護大名は幕府の統制に従わなくなり、( ⑧ )も独自に勢力を持って幕府と対立するようになると、幕府の統治は安定を失っていきました。
⑴ 下の図のA~Eをこたえましょう。
ヒント
B:軍事・警察裁判
C:財政・事務
D:関東・甲斐・伊豆の統治
答え
① 足利義満 ② 1392 ③ 室町
④ 税 ⑤ 管領 ⑥ 畠山
⑦ 鎌倉府 ⑧ 鎌倉公方
⑴ A:管領 B:侍所 C:政所
D:鎌倉府 E:守護・地頭
コメント