中学2年 歴史⑭ 定期テスト対策 戦国の世に現れた南蛮人 鉄砲とキリスト教の伝来 教育出版 穴埋め問題

鉄砲の伝来

16世紀の前半、東アジアの海では、中国・琉球・東南アジアなどの人々によって、貿易が盛んにおこなわれていました。ゴアやマラッカを根拠地に活躍していた( ① )人は、こうした貿易の場を利用して、東アジアにも現れるようになりました。

1543年、シャム(現在のタイ)から中国の商船に乗って、( ② )に流れ着いた( ① )人は、日本に( ③ )を伝えました。その頃戦国の世を迎えていた日本では、( ③ )はすぐに( ④ )大名に伝えられ、( ⑤ )や国友などでは、刀鍛冶の職人によって鉄砲が盛んに作られました。

答え

①ポルトガル ②種子島 
③鉄砲 ④戦国 ⑤堺

キリスト教の伝来

1549年には、イエズス会の宣教師( ① )が鹿児島に上陸し、日本に( ② )を伝えました。( ① )は、山口や府内などを訪れ、熱心に布教活動を行いました。その後も、イエズス会の宣教師が次々と貿易船で来航し、大名の許可を得て、その領内で布教を続けました。宣教師たちは、教会だけでなく、民衆のために学校や病院、孤児院などを建てたこともあって、西日本を中心に( ③ )の信者=( ④ )が急速に増えました。

また、戦国大名の中にも、貿易の利益を期待して、信者になるものが現れました。これを( ⑤ )といいます。その一人である九州の( ⑥ )氏は、( ⑦ )を開港してイエズス会に寄進したため、( ⑦ )は布教と貿易の中心となりました。1582年には、宣教師の勧めにより、キリシタン大名の大友・大村・有馬の3氏が4人の少年使節を( ⑧ )のもとに派遣しました。これを( ⑨ )使節といいます。

答え

①フランシスコザビエル ②キリスト教 
③キリスト教 ④キリシタン
⑤キリシタン大名 ⑥大村
⑦長崎 ⑧ローマ教皇
天正遣欧てんしょうけんおう(使節)

天正遣欧使節

南蛮貿易

16世紀の後半になると、ポルトガルやスペインの商船が、長崎や平戸などの九州に来航し、貿易が盛んにおこなわれました。そのころ( ① )人と呼ばれていたポルトガル人やスペイン人は、( ② )産の生糸や( ③ )織物を中心に、鉄砲・火薬・( ④ )製品などをもたらし、日本からは大量の( ⑤ )を持ち帰りました。これを( ⑥ )貿易といいます。

答え

①南蛮 ②中国 ③絹
④ガラス ⑤銀 ⑥南蛮

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