中学2年 歴史⑰ 定期テスト対策 南蛮文化と桃山文化 教育出版 穴埋め問題

桃山文化

信長・秀吉の時代には、権力や富を誇った戦国大名や都市の豪商たちの気風を反映して、( ① )で力強い文化が生まれました。その代表が、( ② )城や( ③ )城など、雄壮な天守閣のそびえる城です。場内の書院造の広間は、( ④ )・( ⑤ )・長谷川等伯らが描いた華やかな色彩の屏風絵やふすま絵、精巧な彫り物で飾られました。また、( ⑥ )画も引き続き盛んに描かれました。

一方で、騒がしさを離れ、深い味わいを求める( ⑦ )や( ⑧ )も盛んになりました。大名や豪商たちは、茶会を開いて交流を深め、秀吉に仕えた( ⑨ )は、小さな茶室で向き合う( ⑩ )を大成させました。茶器も工夫され、造園や生け花が活発になりました。
このころ発達した文化を、秀吉が築いた( ⑪ )城あたりの後の地名にちなんで、( ⑫ )文化といいます。

答え

①豪華 ②③安土・姫路(順不同)
④⑤狩野永徳・狩野山楽(順不同)
⑥水墨 ⑦⑧能楽・茶の湯(順不同)
⑨千利休 ⑩侘び茶 ⑪伏見
⑫桃山

海外から流入する文化

また、キリスト教の布教や( ① )貿易が盛んになるにつれ、ヨーロッパから新たな文化が流入しました。宣教師たちは、( ② )機を使って、布教用の本などを( ③ )字で印刷しました。また、( ④ )学・天文学、( ⑤ )術、西洋画の技法などの学問や技術を伝え、日本人の世界に対する見方に影響を与えました。ポルトガルや( ⑥ )の商人も、パンやカステラ、かるた、眼鏡、時計などの珍しい品々をもたらしました。このような文化を、( ⑦ )文化といいます。

一方、東アジアからも文化が流入しました。朝鮮の陶工によって、有田焼、薩摩焼、萩焼、などが作られるようになったほか、中国の( ⑧ )とよばれる楽器が琉球に入って( ⑨ )となり、それが日本に伝わって( ⑩ )が生まれました。( ⑩ )は、近世の音楽を支える楽器になっていきます。( ⑪ )も、このころ中国から伝わり、近世には広く使われる計算用具になりました。

答え

①南蛮 ②活版印刷 ③ローマ
④医 ⑤航海 ⑥スペイン 
⑦南蛮 ⑧三弦 ⑨三線 
⑩三味線 ⑪そろばん

民衆の文化

乱世の暮らしは不安定でしたが、民衆は、争いのない世を願いつつ、現世を楽しみ、生きる喜びを表そうとしたことから、社会に開放的な風潮が強まりました。
衣服も、彩りが豊かで活動的な( ① )が広まり、麻に代わる衣料として( ② )が使われ始めました。小唄や踊りが盛んになり、出雲の( ③ )という女性が京都で始めた( ④ )は、やがて演劇の歌舞伎に成長していきました。三味線に合わせて語られる( ⑤ )も人気を呼び、やがて人形芝居と結びついて、( ⑥ )に成長していきました。

答え

①小袖 ②木綿 ③阿国おくに
④かぶき踊り ⑤浄瑠璃
⑥人形浄瑠璃

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