武士と百姓・町人
江戸幕府は、豊臣秀吉が進めた兵農分離をもとに人々を(①)と(②)・(③)の身分に分けて、身分の上下を強めました。
武士は、多数の民衆を支配する高い身分とされ、(④)を名乗ることや、刀を差すこと=(⑤)などの特権が与えられました。また、同じ武士の中でも、将軍から(⑥)まで、身分の上下が厳しく分けられました。身分や家柄に応じて、役職や住居、衣服などが決められていたうえ、身分は、その家の長男に代々受け継がれました。身分制のしくみは、民衆の間にも広められ、しだいに(⑦)の制度が重んじられるようになりました。
村に住む人々の暮らし
人口の大部分を占める百姓は、数十戸からなる村に住みました。土地をもち年貢を納める(⑧)百姓と、土地を持たない(⑨)百姓に分かれていました。村の生活は自給自足に近く、肥料・燃料をとる林野や、農業用水は共同で利用し、田植えや祭りなども協力し合っていました。
幕府や藩は、有力な⑧百姓を名主・組頭・百姓代などの村役人とし、(⑩)の納入や村の運営にあたらせました。百姓に対しては、(⑪)の売買を禁止し、移植などの生活も規制しました。さらに、5~6戸で(⑫)を組織し、年貢の未納や犯罪には連帯で責任を負わせました。
町に住む人々の暮らし
江戸・大坂・京都の各地の城下町などには、家を持ち(⑬)を納める町人と、家を借りて、日雇いなどで働く人々が住んでいました。町人は、呉服町・魚町のように業種ごとに住むことが多く、その中から(⑭)が選ばれ、(⑮)のもとで、町の運営にあたりました。町人の負担は百姓に比べて軽く、商売に成功して大きな富を蓄える者も現れました。また、商人や職人の家には、(⑯)や徒弟が年少のころから住み込みで働き、将来の独立を目指しました。
問題 ⑴
幕府や藩が、百姓に対して土地の売買を禁止し、衣食などの生活を制限したのは、なぜでしょうか?
身分による差別
民衆の中には、百姓・町人とは別に、(⑰)・(⑱)などの身分とされた人々がいました。これらの人々は、幕府や藩の役人のもとで、犯罪者の取り締まりや初経などの役目を担ったり、芸能に携わったりしました。⑰の身分の中には、農業を営んで年貢を納める者も多く、死んだ(⑲)を処理する権利をもち、その皮革を加工する仕事や、(⑳)づくりなどの仕事に従事する者もいました。
これらの人々は、社会や文化を支える役割を果たしていましたが、暮らしの上で様々な差別を受けました。住む場所や服装、ほかの身分の人々との交際などを制限され、こうした差別は、幕府や藩の支配に都合よく利用されて徐々に強めました。
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