中学2年 教育出版 歴史⑧ 北と南で開かれた交易 穴埋め問題  

琉球王国の成立

首里城の正殿 

(沖縄県= ① )では、11世紀末ごろから、農耕を基礎とした社会が作られると、按司と呼ばれる支配者たちが各地に(グスク= ② )を築いて勢力を争いました。
14世紀には、互いに連合して三つの王国(山北さんほく中山ちゅうざん山南さんなん)が並び立ち、中国で明が成立すると、それぞれ明に朝貢しました。そして15世紀の初め、中山ちゅうざん王の( ③ )が三つの王国を統一し、( ④ )を築き、( ⑤ )を都として、独自の文化を発展させました。

( ④ )は、明に朝貢するとともに、日本や朝鮮、東南アジアの国々とも盛んに貿易を行いました。( ④ )は、東アジアの海と東南アジアの海を結ぶ中継貿易で繫栄し、その拠点となった( ⑥ )の港は重要な国際貿易港として栄えました。

答え

① 琉球 ② 城 ③ 尚巴志 
④ 琉球王国 ⑤ 首里 ⑥ 那覇 

蝦夷地とアイヌ民族

(北海道= ① )では、( ② )民族が先住民族として住み、古くから狩猟や漁、交易をおこなっていました。( ② )の人たちは、( ① )を、「アイヌの静かなる土地」とよび、(コタン= ③ )を作って暮らしていました。

また14世紀ごろには、津軽半島の( ④ )を拠点にした( ⑤ )氏がアイヌの人達との交易を活用して勢力を伸ばしました。蝦夷地の鮭や昆布、毛皮、東北の米などを遠く京都まで運んで富を築き、( ④ )は、日本海交通の中心となりました。

やがて、本州から進出した( ⑥ )が、蝦夷地南部の渡島半島の沿岸に( ⑦ )と呼ばれる根拠地をいくつも築いて、アイヌの人たちと交易をおこないました。しかし、アイヌの人達の生活はしだいに圧迫されるようになり、( ⑥ )との争いがしばしば起こりました。

15世紀中ごろアイヌの人たちは( ⑧ )を指導者として戦いを起こし、和人の館に大きな打撃を与えました。

答え

① 蝦夷地 ② アイヌ ③ 集落
④ 十三湊とさみなと ⑤ 安藤 ⑥ 和人
⑦ たち ⑧ コシャマイン

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