信長の台頭と室町幕府の滅亡
16世紀の後半になると、戦国大名の中に、都へ上って全国の支配を目指す動きが現れました。尾張の( ① )は、駿河の( ② )を( ③ )の戦いで破って勢力を強めました。その後、京都に入り、足利義昭を室町幕府の将軍にしました。
その後足利義昭と対立した( ① )は、( ④ )年、足利義昭を京都から追放し、室町幕府を滅ぼしました。
( ⑤ )の戦いでは、( ⑥ )を活用した戦法で、有力な大名だった甲斐の( ⑦ )を破りました。
また、仏教勢力に対しては、( ⑧ )の( ⑨ )寺を焼き討ちにし、各地の一向一揆と戦い、大阪の( ⑩ )寺を降伏させるなど、武力による天下統一を目指しました。
答え
①織田信長 ②今川義元 ③桶狭間
④1573 ⑤長篠 ⑥鉄砲
⑦武田勝頼 ⑧比叡山 ⑨延暦
⑩本願
信長の政治
信長は、( ① =滋賀県)に壮大な城を築き、天下統一の拠点にしました。城下町では、これまで( ② )が持っていた特権を取り上げ、商人たちには、市の税を免除しました。自由な営業を認めて、( ③ )の発展を促したこの策を、( ④ )といいます。
さらに、物資や兵力を輸送しやすいように道路も整備し、各地の( ⑤ )を廃止しました。
また、信長は、征服した土地の検地を行って、( ⑥ )を課したほか、自治を行う( ⑦ )や京都の豪商に対しては、( ⑧ )を要求しました。
こうした政策により、荘園や座の支配を通じて利益を得てきた、( ⑨ )や( ⑩ )の力は衰えていきました。
関東地方から中国地方の一部までをほぼ統一した信長は、( ⑪ )年、中国地方の( ⑫ )氏を討つために出陣しましたが、家臣の( ⑬ )に背かれて、京都の( ⑭ )で自害しました。
答え
①安土 ②座 ③商工業 ④楽市・楽座
⑤関所 ⑥軍役 ⑦堺 ⑧軍用金
⑨⑩公家、寺院(順不要)
⑪1582 ⑫毛利 ⑬明智光秀 ⑭本能寺
秀吉の天下統一
信長の有力な家臣だった( ① )は、すぐに明智光秀を倒し、信長の後継者になりました。そして巨大な( ② )城を築き、全国の統一事業を進めました。
秀吉は、朝廷から( ③ )に任じられると、天皇の権威も利用して、大名どうしの領土争いを禁じる命令を出しました。さらに、( ④ )を家臣に従えた秀吉は、反抗した九州の( ⑤ )氏を降伏させました。( ⑥ )年には、関東を支配する( ⑦ )氏を滅ぼし、( ⑧ )も服従させ、天下統一を実現しました。秀吉は、堺・博多・長崎などの貿易都市や、( ⑨ =島根県)などの鉱山も支配し、その莫大な利益によって権力を強めました。
答え
①豊臣秀吉 ②大阪 ③関白
④徳川家康 ⑤島津 ⑥1590
⑦北条 ⑧奥州 ⑨石見銀山
確認問題
⑴ 信長に対抗した勢力を5つあげましょう。
⑵ 信長は、公家や寺院、自治都市の力をおさえるために、どのような政策を行ったでしょう。
答え
⑴ 石山本願寺・延暦寺・武田信玄・毛利輝元・上杉謙信
⑵ 征服した土地の検地を行って軍役を課したほか、自治を行う堺や京都の豪商に対しては、軍用金を要求した。
⇩これにより、
荘園や座の支配を通じて利益を得てきた公家や寺院の力は衰えていった。
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