デモクラシーのうねり 社会運動の高まりと普通選挙
国際連盟の常任理事国となった日本は、アメリカ・イギリスとの国際協調を重視する外交を進めている背景の中…
大戦が終わると、日本の貿易は再び輸入が輸出を上回り、景気が悪化し、戦後恐慌、ロシア革命、米騒動などの影響も受け、社会運動が活発になった。
⑴労働者の社会運動
①賃上げや労働時間の短縮を要求する労働争議が頻発したが、これを指導した組合を何といいますか。
②①の労働争議が頻発するなか、1920年には日本で最初の何が行われましたか。
③②の後、社会主義者の活動も活発になり、1922年に密かに結成された党を答えましょう。
④農村では、地主に対して小作料の引き下げや耕作の権利を要求する運動が盛んとなりました。これを何といいますか。また、その後1922年に結成された組合を何といいますか。
⑵女性差別に対する社会運動
①明治時代の末から、女性を社会的差別から解放し、その地位を高めようとする運動が進められていました。その中心人物を答えましょう。
②大戦後に、女性の参政権の獲得を目指す運動も起こりました。その中心人物は誰でしょう。
⑶部落差別に対する社会運動
①厳しい部落差別に苦しんでいた人々は、差別からの解放と自由・平等を求める運動を進めました。運動を推し進めるために、1922年に何を設立しましたか。
②北海道で、差別に対する解放運動をした民族を答えましょう。また、1930年には何が設立されましたか。
⑶普通選挙と治安維持法
①1920年代に入ると、出身・身分・財産・納税額などで選挙権を制限しない、普通選挙の実現を目指す運動が活発になりました。この運動を答えましょう。
②下の文章の( )に当てはまる言葉を入れましょう。
1924年、政党から閣僚を入れず、( A )院を中心に組閣した内閣が成立すると、( B )運動が起こり、護憲派の政党の連立によって( C )内閣が作られました。こののち1932年まで、( D )会と( E )会が交互に政権を担当する、政党内閣の時代が続きました。1925年、C内閣の下で( F )法が成立し、満( G )歳以上のすべての( H )に衆議院議員の選挙権が与えられました。二大政党の党首が内閣を組織する慣例は「( I )」と呼ばれ、社会主義政党も議席を得ていきました。
一方で政府は、天皇中心の国の在り方を変革したり、私有財産制度を否定したりする運動を取り締まるため、1925年に( J )法を制定しました。これにより、共産主義に対する取り締まりが強められ、やがて社会運動全体も制約を受けるようになりました。
⑷ 下の資料を見て、質問に答えましょう。
①1⃣の資料は、部落差別に対して解放と自由・平等を求める宣言である。aに当てはまる言葉を入れましょう。
②2⃣の資料は、女性差別の解放を求めて、女性だけで編集した女性のための雑誌の一部である。元来女性は太陽であったのに対し、この時代の女性は何と例えられていますか。
③2⃣の資料のcに当てはまる言葉を入れましょう。
答え
⑴ ①労働組合
②メーデー
③日本共産党
④小作争議・日本農民組合
⑵ ①平塚らいてう
②市川房枝
⑶ ①全国水平社
②アイヌ民族・北海道アイヌ協会
⑶ ①普選運動
②A:貴族 B:第二次護憲
C:加藤高明 D:憲政
E:立憲政友 F:普通選挙
G:25 H:男子
I:憲政の常道 J:治安維持
⑷ ①水平社
②月
③青鞜
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