荘園と院政
11世紀中ごろに、藤原氏と血縁関係がうすい( ① )天皇が即位すると、荘園を整理して公領を増やし、摂関家から政治の実権を取り戻そうとしました。
次の白河天皇は、上皇となった後、摂政や関白をおさえて政治を行いました。これを、( ② )といいます。
白河上皇や、次に院政を行った鳥羽上皇は、天皇としての制約を受けない自由な立場にあったため、政治の方針を変えて( ③ )を増やしました。上皇が新しく建てた寺社には、その権力を頼る貴族から多くの( ③ )が寄進されるようになりました。
中央の政治と武士
荘園が増加すると、土地を巡る争いも増えました。荘園を持つ有力な寺社は、自らの要求を通すため、僧を武装させて僧兵とするようになりました。朝廷は、僧兵の圧力に対応するために、( ④ )を都の警備に当てました。
12世紀中ごろに鳥羽上皇が亡くなると、院政の実権を巡って、天皇家や藤原氏の対立が激しくなりました。後白河天皇は、( ⑤ )や源義朝らを従えて、崇徳上皇に勝利しました。これを( ⑥ )の乱といいます。
後白河上皇が院政を始めた後にも再び朝廷内で争いが起こると、( ⑤ )が源義朝を破り、上皇の信頼を得た平氏が、( ⑤ )を中心に勢力を広げていきました。これを( ⑦ )乱といいます。
この二つの事件では、京都で合戦が行われ、政治の争いが武士の力で決着したことから、貴族に大きな衝撃を与え、( ④ )が政治にも力を持つようになりました。
答え
①後三条 ②院政 ③荘園 ④武士
⑤平清盛 ⑥保元 ⑦平治
平氏政権の誕生
平清盛は、武士として、初めて政治の実権を握りました。朝廷の最高の役職である( ① )になり、娘を天皇の后にして、一族も高い役職を占め、広大な公領や荘園を支配して栄えました。また、瀬戸内海の航路や大輪田泊を整備し、中国の( ② )と盛んに貿易を行いました。
商人や僧が行き来して、( ② )銭が大量に輸入され、新しい仏教の動きも伝えられるなど、大陸との交流が活発になりました。
平氏の滅亡
権力を強めた平清盛に対して、天皇家や貴族は反発を強めました。また地方の武士も、平氏への不満を持つようになりました。平清盛と( ③ )上皇の対立が激しくなると、上皇の皇子が平氏打倒を呼びかける命令を発し、伊豆の( ④ )や木曽の( ⑤ )ら源氏を中心とする各地の武士が兵を挙げました。( ④ )は、武士たちを組織して関東地方を支配すると、弟の( ⑤ )らを派遣して平氏を攻め、( ⑥ )年、( ⑦ )で平氏を滅ぼしました。
答え
①太政大臣 ②宋 ③後白河
④源頼朝 ⑤源義仲 ⑥源義経
⑦1185 ⑧壇ノ浦
問題
⑴ 10世紀後半に中国を統一したのは?
⑵ 10世紀前半に朝鮮を統一したのは?
⑶ 下の絵は、平家物語絵巻である。何の戦いを描いたものか答えましょう。
答え
⑴ 宋 ⑵ 高麗
⑶ 壇ノ浦の戦い
コメント